優秀な日本人 AI不要論

2023/10/1

この1〜2年でAI・人工知能が急速に身近になって来た感がある。
以前にも書いたが業務ではChatGPTを大いに活用している。

しかしながら日本ではAI導入が遅々として進まない。AIは不必要と言う回答が他国と比べて極端に多いと言う調査結果もある。

思うに、日本人はとても優秀でAIに頼らなくても良い(と思う人が多い)のが理由の一つでは無いだろうか?

今年の2月に博多駅前で起きた悲惨なストーカーによる殺人事件。犯人確保は地元警察の「見当たり捜査」だったと言う。顔写真を頼りに都会の雑踏で顔を見つける捜査官の職人技。
人権やプライバシーを無視してまで顔認識カメラを防犯に利用しているお隣の国とは大きく異なる。

製造業の多くでいまだに職人技が重要視されている。もちろん職人技を否定するわけでは無いが、人口減少、担い手不足などが叫ばれている昨今、職人技を次世代に伝え、新たに職人を育てていくことは難しい。
今までの「電子化」「IT化」と言われていたことの多くは単純作業をロボットやコンピュータに行わせること。AIは、可視化できない職人技を自動化または省人化できる可能性がある。

と、ここまで書いたが、我が社では未だに単純作業も人手に頼っている。
何でもかんでも紙にプリントしないと仕事ができないと思いこんでいる人が多い。

これも、日本の働き手、特にいわゆるホワイトカラーの人たちは一生懸命仕事をし、優秀で間違いが少ない。仕事をコンピュータに任せる必要が無いため、だろうか?

もう一つ、仕事で手抜きをしてはいけない意識がコンピュータ化やAI化を阻んでいないだろうか?
上司や先輩から与えられた仕事を一生懸命時間を掛けて処理するのが美徳。様々なツールを使って楽をしてはいけない。
自分はいつでも楽できるよう、省人化できる方法を考えているが、これは日本人の美徳に反するのかも知れない。

AIも一つの道具。新しい道具が出てくると多くの場合は、人々がそれらの便利な道具を使いこなすようになる。
最近では、スマホ。ほぼすべての人が使っていると言っても過言ではない。
歴史を振り返ると、家庭では洗濯機や掃除機。これらもほぼすべての家庭に1台はあるだろう。洗濯板や箒とちりとりだけ、という家庭は希少価値がある。
さらには、ロボット掃除機や食洗機。ほぼすべての家庭、とは行かないかも知れないが普及は進んでいる。

もしかしたら、これら家庭用の道具・ツールも最初は男尊女卑の昭和社会では反対意見もあったのかも知れない。

さて、AI、それにDX。まだまだ企業には普及していないように思えるが、例えば20年後には日本でも当たり前になっている、はず。企業の立場で考えると、どうせ導入するのであれば他社との差別化のためにもさっさと導入して使いこなせば良い、というのは大きなお世話だろうか。

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