富士山 弾丸登山

2023/9/10

富士山に登ったのは大学生の時、時期は9月中旬。
夜中に山梨県側の富士スバルラインを通って車で五号目まで行き、車中で仮眠。朝早く(と言うか夜遅く)起きて登り始めた。
はっきり覚えていないが、出発は午前3時頃だったか。吉田ルート、登山客はそれなりにはいたが、渋滞するほどではなく、我々は先行する登山者を次々と追い抜いて登って行った。八号目、九合目付近までは順調に「猛スピード」で登った。元々はご来光を拝もうと思っていたのだが、後からよく考えてみるとそれはとても無理な登山計画。九合目付近で日の出の時間を迎えたのだが、富士山の9月半ばはすでに初冬。雪が降り出し雲に覆われた山からは日の出は見えなかった。また、恐らく軽い高山病でとても寒かったのは憶えている。それでも頂上までは辿り着いた。
当時のガイドブック等に書いてあった標準的な所要時間よりも1時間は早く登っていた。お鉢巡りなどはせずに、早々に下山。こちらも落石は起こさない程度に高速下山。

足元はスニーカー、防寒具はウィンドブレーカー程度。
この夏のニュースなどで度々批判されている弾丸登山、まさに我々はそれだった。
言い訳を書くと、当時はインターネットもなく登山情報もそれほど充実していなかった。危険性を指摘するような情報に接する機会もほぼ無かった。
高山病に関しては、身体を慣らすために五号目で仮眠。確かに意図して早めに登山口まで到着したのだと思う。また、山小屋はすでに開いて無かったような気もする。

まあ、若かったので怖いもの知らずで無知だったと言えばそれまでなのだが、最近のテレビ報道で見る富士登山の注意事項は少し過剰かとは思ってしまう。
ただ、「昔」と違って気軽に観光感覚で山頂を目指そうとする登山客が増えたのは事実。また、天候の急変など何が起きるか分からない富士山。我々のような弾丸登山は慎むように情報発信、特に外国人観光客向けの注意喚起は必要なんだろう。

富士山に登って一つ感じたのは、美しい富士山が見えないこと。

19世紀の終わり、パリにエッフェル塔が建てられたとき、建設に反対する人も多かったという。その一人が作家・モーパッサン(Maupassant)。嫌いなエッフェル塔が視界に入らないようにエッフェル塔のレストランに通って食事をした、という逸話もある。

富士山が好きな人は富士山が綺麗に見える山を目指すのも良い、と個人的には思う。

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