ミャンマー人
1990年代後半から2000年頃だったと思うが、会社が入っているビルの地下にある洋食屋でアルバイトで働いていたのはミャンマー人だった。
1989年に同国の英語名がビルマからミャンマーに変更された。以前にも書いたが、どちらも同じ民族名で口語と文語の違い、ニッポンとニホン程度の違いらしいので恐らく大した違いでは無い、はず。
アルバイトのミャンマー人がその店で働いていた頃は、ビルマからミャンマーに国名が変わってそれほど年数が経っていないその国についての知識と言えば、敬虔な仏教国、金色に輝く仏教寺院の国、と言う程度。
アルバイトの店員の風貌は日本人と変わらず、名札が無く、会話もしなければ、ミャンマー人とは分からなかった。
外国人技能実習制度は1990年に始まったらしいが、当時はそんな制度があることも知らず、単純に軍事政権下の国から逃れ、生活を支えるために日本で働いているんだな、程度の認識しか無かった。今から考えるともしかしたら技能実習生として日本に来ていたのかも知れない。
その後印象に残っているミャンマー人は、ある再生可能エネルギー関連のセミナーに出席した時に隣に座っていたおばさん。
見た目は日本人と全く変わらず、日本人だと思っていたが、その後の懇親会で“私はビルマ人です”、“アウンサンスーチーさんの側近だった夫は軍事政権の迫害を受け失明した”、“日本に逃げて来た、日本の皆さんにもビルマの窮状を知って欲しい”と場違いな懇親会の席で周りの人達に訴えていた。
その頃はまだアウンサンスーチー氏は軟禁されていた頃。
そして、2019年にミャンマーに遊びに行った時に、声を潜めて話しをしてくれたホテルの従業員。
アウンサンスーチー氏の評判や西部ラカイン州にいるイスラム教徒のことなど、政治が安定しない多民族国家の一端を垣間見ることができた。
ミャンマーは、数え方にもよるようだが135もの民族が暮らす国。約70%と多数を占めるビルマ族の国として、ビルマまたはミャンマーと呼ばれる。東南アジア最後のフロンティアとも呼ばれるミャンマー、早く落ち着いて欲しい。

