弥生時代と現代の東南アジア 吉野ヶ里遺跡III

吉野ヶ里の高床式建物

さて、今日の話題も吉野ヶ里遺跡

吉野ヶ里遺跡公園には、当時の建物が復元されている。また、発掘された各種の土器類も展示されている。

建物は、幹部の家族などが住んでいたと思われる竪穴式住居高床の祭司(政治)用の建物や倉庫などもある。
土器類には、死者を埋葬した甕棺もあれば、食料の貯蔵や煮炊きに使ったと思われる土器など多様なものがある。
高床式の住居も土器も現在の日本では見られない。
比較的小型の土鍋や陶器の茶碗類などは現在でも使われているが、当時の土器とはまず大きさが異なる。

そんな弥生時代の建物や器を見て、東南アジアで見た風景だな、と思った。

(左)中国・雲南省 (右)ラオス・ルアンパバン郊外の山村
建物の写真は撮っていなかった…

高床式の建物は、中国・雲南省シーサンパンナ(西双版納)にある。
雲南省は人と豚と鶏が同居し、インフルエンザ変異の発生地とも言われるが、地面には豚や鶏が飼われ、高床部分で人が寝起きする。

もう少し、吉野ヶ里にある高床住居に近いのがラオス・ルアンパバーン郊外の山村にあった。
電気も来ていない村には、二つの異なる民族(カム族とモン族)が暮らしているが、その一方が暮らしているのが高床式の住居で、倉庫もある。
地面部分にはやはり豚がいる。言ってみれば、2000年近く同じような暮らしを続けていると言う事だろうか。
現在は、トラクターを発電機として使い週に2回は発電し、衛星テレビは観られるようになっているが、これは2000年前とは異なる点だろう。

(左)吉野ヶ里遺跡公園展示室の壺 (右)ミャンマー・ヤンデブー村の壺

土器については、ミャンマーのエーヤワディー川クルーズの途中で立ち寄ったヤンデブーと言う村で焼かれていた土器に似ている。
ミャンマーでは電化率はまだ低く、煮炊きに土器を使っている地域がまだ沢山ある。
こちらも、2000年近く同じような暮らしを続けていると言うことか。

これら(建物や土器)の技術が複数の地域で独自に発生した可能性も無くは無いが、古代中国の技術が伝わった、と考える方が自然。
弥生時代の日本と現代のラオスやミャンマー、同じルーツを持つ文化を共有しているのだと思うと、親近感が湧いてくる。

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