北朝鮮の庶民

北朝鮮、朝鮮民主主義人民共和国の最高指導者の動向が約3週間ぶりに報道された。

日本からは近くて遠い国。日本国内にも在日朝鮮人は沢山いるので、接点のある人は多いかも知れない。

北京に居た時、韓国人チームで草サッカーをやっていた。日本人は3〜4人だったか、使われる言葉ほぼ韓国語、時々中国語と日本語。そこで、3ヶ国語とも話せる一人の在日朝鮮人がコミュニケーションに欠かせなかった。普段はサッカー練習での接点しか無かったが、SARSの感染が拡大しメンバーの殆どが帰国する時に簡単なお別れ会をした。その時に、その在日朝鮮人と話し込み色々な話しをしてくれた。

「日本で生まれ育ったので日本語が一番楽だ。日本では朝鮮総連の青年部のリーダーをしていた。子供の頃は在日朝鮮人社会で育ったが、日本人との接点ができ始めると自分が受けた教育、常識に疑問を持つようになった。日本人社会に溶け込もうとしたが、差別的に見られ、うまく順応できなかった。それで北京に来たのだが、北京では在日朝鮮人として差別される事も無く居心地がいい。SARSで北京を離れたいが、日本に帰るのが良いのかどうなのか悩んでいる。」

恐らく日本で出会っていたらそこまでの心情は話してくれ無かったと思う。偶々、在日朝鮮人として日本で生まれ育ち、社会の矛盾を感じたのだろう。

北京では他にも北朝鮮人との接点が少しだがあった。

中国語の学校には北朝鮮人が4人いた。当時(2000年代前半)の北京でも韓国人の方が圧倒的に多く、北朝鮮人は珍しかった。海外に留学に来るくらいだからエリート階級だったと思う。最初の内は、こちらから“你好”と挨拶すると“你好”と返してくれた。しばらくすると、挨拶を返してくれ無くなった。4人は必ず複数、大抵は、2人組で行動していた。それでも暫くは、こちらから挨拶すると申し訳無さそうに目だけで返事してくる人もいた。2人組は互いに監視していた。“西側”の人間と話してはいけない事になったのだろう、こちらから挨拶する事も無くなった。

北京に沢山あった北朝鮮レストラン、多くは焼肉屋。中国・朝鮮族の同僚と夕食を食べに行った時の事。
店員は全員北朝鮮人。同僚は店員と暫く朝鮮語で話していたが私の方に向かって“彼は日本人だよ”と。その時の店員の顔を見ていたが、顔を曇らせるような事も無く、歓迎の意を示してくれた。接客商売だから当然と言えば当然だが。

北朝鮮内にいる普通の国民は、何も悪くは無い。実際問題として、子供の頃からの教育・洗脳の影響もあり、日本の教育を受けた我々とは相容れない部分は少なからずあるとは思うが、同じ人間ではある。

想像するに、今の北朝鮮の人々は、緊急事態宣言下で不自由な生活を強いられている日本よりも不便な生活が日常なのだろう。
今後、朝鮮民主主義人民共和国がどんな方向に進んで行くのか、その時の一般庶民はどうなるのか、と言うのは気になるところである。

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