会津

韓国人は基本的にはずっと反日感情がある。報道ではもちろんだが、韓国人の知り合いと話していてもそう言っていた。

と言う話しを先日話していたら、会津、と言う話題になった。

会津は未だに長州を許せない、らしい。
明治維新に際し、新政府軍(薩長連合)と白虎隊で有名な会津を中心とした旧江戸幕府側が戦った戊辰戦争、その時に会津が受けた屈辱が理由のようだ。

中学校を卒業後15〜20年経った頃に同窓会に出席したことがある。ある同級生が、掃除の時間に箒で叩かれて痛かった、と言う話しをしてくれた。叩いた方(私のこと)は全く記憶に無かったのだが、言われてみると箒で戦った(チャンバラごっこ)こともあったのかな、と思えてきた。

多くの場合、被害者の方が覚えている期間が長く、記憶も鮮明だと思う。個人の場合は身体的・精神的な痛みを伴っているからだろう。
そんな“加害者”と“被害者”も時が経てば過去の遺恨は忘れて(少なくとも表面上は)普通に話ができるようになる。

そう思っているのは、私が被害者では無かったからだろうか。

さて、会津と長州。
戊辰戦争から120年後の1987年に、山口県萩市から会津若松市に友好都市の申し入れがあったが、会津若松市民の猛反対で実現しなかったとか。

国と国や民族と民族では、対立しているグループが友好関係になるには、ずっと長い時間が必要なんだろう。特に、近接している国・地域や民族同士では、半永久的に争いが続いて行くのかも知れない。

そんな中でも、“大人”の解決方法は模索し続けて行くのだろう。おそらく半永久的に。

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