日本航空123便
1985年8月12日のJAL123便墜落事故から34年。
いつだったか、ロサンジェルスの事務所で働いていた日系アメリカ人が、家族と一緒にその123便を予約していて乗る予定だった、という話をしてくれたことがある。
その前の便に空席ができたので家族全員で一本前の121便で、大阪に行ったとのこと。伊丹空港に着いたあと、空港が大騒ぎになっていて事故のことを知ったらしい。
その一家が121便に乗れたと言うことは、次の125便を予約していた人や空席待ちをしていた人が123便に乗った、ということになる。
別の事故であるが、2005年4月25日にJR西日本・宝塚線の電車に乗っていた元同僚がいた。当時は、大阪の大学院に通っていて、宝塚駅からいつもは電車の2両目に乗っていたが、その日に限って2両目は満員で乗れず、走って後ろの車両に飛び乗った、と言っていた。
犠牲者107名の大半は大破した1,2両目の乗客だった。
8月になると広島・長崎の原爆や終戦記念日など、命を考えさせられる報道が増える。ニュースでは大抵は犠牲者の数など数字で報道されることが多いが、犠牲になった方、助かった方それぞれの人生を変えてしまうできごとだったに違いない。
それぞれ飛行機・電車には怖くて乗りたくない、というその2人と知り合い、話すことができたのは偶然なのか運命なのかわからないが、改めて命は大切にしないといけないと思う。
合掌