怒りは受け取らなければ相手のもの

2024/10/31

怒り(悪口)は受け取らなければ相手のもの

最近お釈迦さまの言葉が記事になっているのを読んだ。

「仏教 受け取らない」などで検索すると関連の記事がたくさん出てくるので、詳細はそちらを読んで頂きたいが、自分なりにシチュエーションを考えて勝手に解釈するとこうだ。

ある人、仮にAさんとしておこう、が自分にりんごをくれると言う。受け取ればそのりんごは自分のもの。当然である。
では、受け取らなければ誰のもの?
最初にりんごを持っていたAさんのもの、つまりりんごを受け取るのはAさん。
これは簡単である。

同じようにAさんが自分に悪口を言う。自分は聞き流し、その言葉を受け取らない。上のりんごと同じ理屈で考えると、その悪口はAさんのもの、Aさんが受け取るもの。

場合によっては簡単では無いこともあるかも知れないが、まあ誰でも言葉であれば聞き流すことはできる。

これが肉体的な暴力になるとどうだろう。例えばパンチを食らうなど。
これを受け取らないようにするには、避ける(よける・さける)、逃げる。もしかしたら防御するのも受け取らないことになるだろうか。ガードを固める。
広い場所で1対1であれば、逃げることもできなくは無い。

もう少し大きく考えると、国や地域の紛争。相手が襲って来た、つまり、攻撃して来たらどうする?
今までの例で言うと、攻撃を受け取らないとその攻撃は最初に攻撃しかけようとした国や地域のもの。
なんだか難しくなってくる。

逃げる?
国や地域を動かして逃げるのは、普通の土地ではできない。

避ける?
飛んでくる攻撃の進路を変えて、自分(自国)に来ないようにする?

防御する?
攻撃されても護り切れるように防御体制を整えて置く?

SF映画やアニメなどに出てくるように「バリア」を張って攻撃を受けないようにすれば良いのだが、現実世界で、少なくとも今の科学では難しい。

では、どうすれば良いのだろう?

いくら自分(自国)が何もしなくても相手から攻撃を仕掛けられることは、最近の世界を見ているとあり得ることである。
現実的には100点満点の正解は無さそう。

最近の国政選挙やその前の党首選挙でも少し話題にはなったが、誰が言っていることも納得できないのは、やはり正解が無いからなのだろう。

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