ミャンマー 長井さんの記憶
2023/4/28
長井健司さんのビデオカメラとテープが見つかり、遺族に返却されたとニュースになった。2007年にミャンマーで民主化デモ取材中、ビデオ撮影中に銃撃されジャーナリスト。
ミャンマーに行ったときに聞いてモヤモヤとしていた話が急にはっきりと分かった気がする。
2019年11月にミャンマー第二の都市マンダレーと世界遺産都市バガンに行った。
2020年新型コロナが世界的に感染爆発する前、2021年にミャンマーで軍事クーデターが起きる前。
民主化政権で比較的平和だった時期。
バガンで地元の人々と話した時のこと、日本から来たと伝えると「ナカイさん」や「ケンさん」と言う人の名前が話の端々に出てきた。記憶は不確かだが、バガンの街は「ケンさん基金」やその活動に共感する日本の人々のおかげで随分ときれいになった、と言うような話だったように思う。
漢字で話を聞く(?)日本人の習性として、「ナカイさん」と聞くと「中井」や「仲居」などの人名が頭に浮かんだ。『「中」何とかと言う人が東南アジアの国で、殺害されたはずだけどミャンマーだったかな?』。
調べてみると、1993年にカンボジアの選挙監視ボランティア活動中に亡くなった中田厚仁さん。「ナカイ」と「ナカタ」を聞き間違えたのかと思ったが、カンボジアで亡くなった人を、隣の国とは言えミャンマーでそこまで話題にするとは思えない。
冷静に考えると「Nagai」と「Nakai」、多くの言語では無気音の「g」と有気音の「k」に分けられるが、その違いを日本人が聞き分けるのは慣れていない。「ナカイ」と聞いて「ナガイ」を想像できなかった自分の不覚ではある。それ以来モヤモヤとした感じはあったが、バガンでの会話の記憶も徐々に無くなって行った。
長井健司さんのニュースを聞いて、納得できた。2019年に訪問した民主化政権下のミャンマーでは「ナガイさん」は恐らく一般市民の間、特に外国人と接する機会の多い観光業などの人たちの間では記憶や印象に残る日本人だったものと想像できる。
もう一度確かめてみたいが、軍事政権下で自由な言論の制限されている現在のミャンマーに行って確かめるのは非常に難しい。
政治の犠牲になる人々があまりにも多すぎると感じる昨今である。