大空襲

2022/3/10

ウクライナに派遣されている特派員からのレポートの時には、後ろで銃声や砲撃、空襲警報のサイレンなど、正に戦争を実感させられる音が頻繁に鳴り響いている。

77年前の今日、1945年(昭和20年)3月10日は東京大空襲があった日。

日付が3月10日になった真夜中、多くの爆撃機が飛んで来た。超低空で飛ぶ飛行機、夜中で機種まではわからなかったが、B29に間違いない。

と、書き出したが、さすがに戦争中はまだ影も形も無い自分なので、体験談は書けない。

子供の頃に、母親だったか伯母だったかに聞いた話は、西宮・甲子園の話し。

当時、祖父母一家が住んでいたのは、甲子園球場のすぐ近く、歩いて7〜8分だったようだ。
その家が、空襲で焼けた。祖母は命からがら燃え盛る家から逃げ出した。命は助かったが、腕に大火傷をおった。

子供の頃の記憶を思い出してみると、確かに祖母の腕には、火傷の痕が残っていた。

甲子園の空襲はいつだったのかわからないが、西宮市のホームページに載っている体験談と同じ日だろうか。

その話を聞いた時は、自分はまだ社会人にはなっていない頃だっただろうか。
「そんな遠い昔の話し(自分には関係ないや)、大変だったんだな」と言う程度の感想しか無かった。

平和な昭和後期、日本での戦争など考えられない時代だった。

世界では、戦争はたくさんあった。
映画では定番だったベトナム戦争。
イラン・イラク戦争やイラク侵攻その他何回もの中東での戦争・紛争。
ソ連によるアフガニスタン侵攻。
ヨーロッパでは、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争。
最近でも、ミャンマーやアフガニスタン、あまり報道されないアフリカでの紛争。

世界のニュースには、それなりにアンテナは張っているつもりだが、それほど印象には残っていない。

今回のウクライナ侵攻は、SNSが普及してからはじめてヨーロッパで起きた戦争。
今までに比べると映像での報道量が圧倒的に多い気がする。空爆から逃げる一般市民、子供やお年寄り、家族で逃げる人々。

ふと祖母の体験を思い出した。
日本でも80年近く前に起きていたこと。
ついこの前までの当たり前の平和な生活が、突然なくなってしまう。

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