幸いにも日本人の…
2022/1/17
昭和、子供の頃、海外で事故や災害があると「幸いにも日本人の犠牲者はいませんでした」と言うような報道がされていた。
事故や災害でなぜ「幸い」なのか。
当然の疑問が海外からあがり、「外圧」によりこの表現は使われなくなった。
昨日、日本でも津波警報・注意報が出されたトンガの火山噴火。今朝も再び噴火したようだ。
自分が認識している限り、この5日間で3回の大噴火。
テレビ報道を全て見ているわけでは無いが、日本も含めた世界各地への津波の状況や被害は伝えられているが、肝心のトンガで噴火自体の被害はあまり伝わってこない。
トンガ在住の「日本人」の安全は確認された、とだけは政府発表があったようだ。
「幸いにも」と言う言葉さえ使わなければ良い、と言うだけでその他は昭和から変わっていないような気がする。
今回の火山噴火については、現地の電力や通信網に被害が生じている模様で、現地情報が届いていない。現地の被害状況も分からないため、(トンガから見て)海外の状況だけしか伝えられないのは理解できる。ただ「現地の状況が心配されます」などの言葉が報道に一言でもあれば、と思うのは自分だけだろうか?
折しも今日は阪神淡路大震災から27年。
世界中で自然災害は起こり得る。
「日本人の」「日本人が」が不必要だとは言わないが、もう少し「世界の人々」に寄り添った姿勢を見せて欲しい。自分に対する戒めでもある。