JRと国鉄

2021/12/9

11月の四国旅行、四国内の移動は、JRとバスが主だった。

JR四国。
6個あるJR旅客の中では営業距離が一番短い会社。
高松や徳島と言った都会では鉄道利用者はそれなりに多いのかも知れないが、その他の路線は乗客が少ない。ほぼ全ての区間で交通系ICカードも使えず、非電化の区間も多い。

先日も書いたが、特急が停車する大歩危駅ですら無人駅。普通列車しか停まらない隣りの小歩危駅にはトイレさえない。
さすがに、四国中央の交通の要衝、阿波池田駅には有人の改札や待合室などがあり、それなりに鉄道駅の形をしているが、それでも自動改札は無い。

そんな四国。過疎地域は、全員が車を利用できるかと言うとそんなことは無く、乗り降りする人は学生を除くと高齢者が多い。

JRが国鉄から分割されたのは1987年。
それ以前も多くの地方路線は赤字路線と呼ばれ、都会の路線収入と国からの補助で経営されていたと思うが、分割されてしまうと、JR四国は稼ぐ手段が限られてしまう。四国全体で見ても人口は少なく、旅行先としての魅力度も低い。

赤字が膨らむと、当然経費削減。
無人駅にしたり、トイレを無くしたり、列車本数を減らしたり、と利用者にとっては益々不便になって行く。
不便になると当然利用者は減る。負のスパイラル。
東京や大阪の国鉄利用者には迷惑だったかも知れないが、都会の収入で四国のローカル線を維持する仕組みは、国鉄の分割により見込めなくなった。
民営化は必要だったと個人的には思うが、分割の方法については少し疑問を感じる。

特に鉄道ファンと言うわけではないが、日本国内のローカル旅は鉄道が落ち着く。
バスやレンタカーを使うこともあるが、日本の旅は鉄道、だと何となく思っている。

大歩危小歩危の辺りは、川沿いの切り立った崖に沿ってJRと国道が通っている。
大歩危を道路(土佐街道、現在の国道32号)が通ったのは、1892年(明治25年)。鉄道(土讃線)が通ったのが1935年(昭和10年)。それらができる以前は、人を寄せつけない交通の難所だった。
先人たちが苦労して建設したこれらの遺産を有効に利用して行くのも現在に生きる我々の努め、と言うのは大袈裟だろうか?

もちろん自分の考えが古すぎる可能性は大いにある。
鉄道や国道が無くても「個人用有人ドローン(タケコプター)」や「どこでもドア」など、新しい交通手段で移動できる時代が、もうすぐそこまで来ているのかも知れない。

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