資金援助と幸福感

2021/11/8

環境に関する国際会議、COP26がイギリス・グラスゴーで開催された。日本は2回連続で名誉ある「化石賞」を受賞したとニュースになった。

このところの主要テーマは二酸化炭素など温暖化ガス排出量の削減。先進国と発展途上国に取り組み姿勢に対する温度差があり、すんなりとは方向性が決まらないが、インドなどは先進国の資金援助が必要だ、と訴えていた。

国際社会では、先進国が途上国に資金援助を行うのは当たり前だ、と言われるとそうなのかな、と思う。
しかしながら、個人レベルで考えると少し違和感がある。お金持ちがボランティア(自発的に)で寄付をするのは構わないが、貧乏人がお金持ちに乞う、と言うのは、個人的には少し変な感じがする。
これも、曲がりなりにも社会福祉がしっかりした現代日本に住んでいるからだろう。

海外に行くと、人が集まるところには物乞いをする人々がいる。中には、スリやひったくりと言う犯罪に手を染める人もいる。
北京に住んでいた2000年代前半には、乞食(物乞い)を「職業」とする人たちが地下鉄車内や駅前にたくさんいた。

子供のころ、昭和の日本にも「乞食」は当たり前だったのかも知れない。
幼稚園か小学校の低学年のころ、おばあちゃんと三条大橋(京都)を歩いていると、物乞いをしている人がいて、祖母は当たり前のようにお金を恵んでいた。
祖母の心を受け継いでいれば、自分ももう少し心の広い「できた人間」になっていたかも知れないが…

さて、資金援助であるが、現代日本では、余裕のある個人がに困っている個人に援助をしなくても、税金その他で政府に納めれば、その税金を使って個人個人への社会援助がされる。

国際社会では、国を横断してのこのような福祉システムは無いため、国と国で個別に、または、国際会議の場で取り決めるしか無い。

これを個人間で、行うことは大変である。
貧乏な人は、お金持ちを探してきて、寄付・資金援助をお願いする。
寄付と言う文化ができていない、または、無くなってしまった現代日本では到底成り立たない。こうして考えると、日本の福祉制度はやはり優れている、と言える。

それとも、社会福祉が充実していなくても、お金などがある人から無い人へ、自発的に還元する社会の方が人々の幸福感が増すかも知れない。
ちょうど2年前に訪れたミャンマーでは、寄付文化が根付いていて、経済的には裕福では無いかも知れないが、多くの人は幸せそうな顔をしていた(もちろん、今年初めのクーデター以前の話)。

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