時の流れに身をまかせ

2021/9/28

タイトルを見てテレサ・テン(鄧 麗君)の話題だと思った人には申し訳ない。時間感覚に関する話し。

我が社は出退勤時のタイムカードというものを導入したことは無い(はず)。
入社した頃は人事部が管理する出勤簿に毎朝サインする方式だった。その頃は、人事部の担当者が定時になると、出勤簿を片付けてしまい、その後は遅刻扱い。117に電話して、時報を確認して定時ちょうどに出勤簿を回収する念の入れようだった。
「117」や「時報」か通じるのは恐らく昭和生まれだけだろうが、今でも時報のサービスはあるようだ。

通勤が当たり前だった頃、特に20代の頃は、朝の定時を守ることが何よりも大切、と言うような意識もあったが、その意識は少しずつ薄れて来た。
特に体調の悪い時や交通機関の乱れた時などは、自宅で、または、通勤途上のカフェなどで仕事をしてから出勤することも増えて行った。

今年の新型コロナ感染後は、テレワークでもしばらくは体調に波があり定時に仕事を始められない状態だった。最近は、時々出社しているが、完全復帰には至らず定時出勤・定時退社はできていない。何が何でも「時間厳守」、と言うのはなんだか馬鹿らしくなって来た。

もちろん約束の時間を守ることは重要だが、規則で「なんと無く慣例的に」定められている時間については、そこまで厳守しなくても良いだろう、と思い始めている。例えば、遅刻するかも知れない状況でも通勤途中で道に迷っている人を案内する、などちょっとした親切の方が時間厳守よりも価値がある、と思う。

「時間に追われる」と言うのは「忙しい」ことの代名詞、「心」を「亡」くすことになる。

時間厳守の優先度を少しだけ下げ、時の流れに身をまかせると、心に余裕が生まれる。
幸か不幸か、新型コロナ後遺症の影響で、仕事で流れる時間について行けない。そのお陰で、時間に対する価値観が変わった。

良いのか悪いのかは分からないが。

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