20年ひと昔

2021/9/24

前回は約20年前の中国庶民のローンに対する認識について書いたが、20年と言うのは結構長い。

当時の北京では、冬の朝には白菜を満載にした荷車を引いたロバが道を走っていた。
雑貨屋で買い物をする時は、店員の後ろにある棚に並んだ品物を指定し、取ってもらい買った。支払いは当然現金。お釣りは投げて返された。中国語の品名が分からなければ買い物も一苦労。

地下鉄も3路線くらいしか無く、あとはバス。車掌に行き先を告げて切符を買うスタイル。こちらも当然現金払い。細かいバス路線図の書かれた交通地図(当然、紙)が必需品、大抵のところにはバスで行けた。

一番最近北京に行ったのは2019年12月。恐らく既に新型コロナ患者が出始めていただろう頃。
住んでいた時には無かった地下鉄路線がたくさんあり、乗る時は交通カード。多くの市民はスマホ決済。支払いゲートの前でスマホアプリを開く人も多く、ゲートではプチ渋滞。

数は少なかったが、市内の路線バスには2階建ての電気バスもあった。
買い物やタクシーは、現金だと少しだけだが嫌な顔をされた。スマホ決済が当たり前。
多くの店では海外のクレジットカードも普通に使えた。

翻って、我が国日本。
20年前と今、街の風景や人々の生活にほとんど変わりは無い。もちろん新型コロナによる生活スタイルの変化はあり、空港などの対テロ対策も厳しくなっているが、根本的には変わっていないように見える。少なくとも変化のスピード感は違う。

日本でも、例えば1945年と1965年の20年間。終戦前後と高度経済成長期とは全く違う20年。
1965年と1985年の20年も大きく違う。高度経済成長、その後の低成長期、そしてバブル経済の時代と大きく変わった日本。

20年経てば、変化を実感できるものだが、今の日本は20年前とほぼ同じ。
国民の平均年齢が上がった、スマホを持つのが当たり前になった、新型コロナ前までは外国人が街に溢れるようになった、などもちろん変わった部分もあるが、劇的な変化とは言えない。

必ずしも変わることが良いとは言えない。
安定した社会になっていると前向きな捉え方もできるが、社会が歳を取り活力が無くなっているとも言える。

外の世界は確実に変わっているので、日本全体が取り残された「ガラパゴス」になるのだろうか?
「ガラパゴス化で世界遺産」と言う未来も選択肢であるかも知れないが。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です