差別意識と発言炎上

2021/8/16

今年になってから、テレビやSNSなどで差別的な発言が炎上することが多くなっている気がする。
発言した人が批判されるのは、ある意味やむを得ないことだと思うが、批判する側はそんなに清廉潔白な人たちなのだろうか?

そう言う自分は、差別意識の塊りだが、もしかしたら大多数のみなさんは自分とは違って差別意識は全く無いのかも知れない。

京都の高校を卒業し、自宅から通えない(近畿圏以外の)大学に行こうとすると、親からは「地方」の大学は「都落ち」と言われ拒否された。残念ながら学費を出してもらう都合上、完全に反発することもできず「もう一つの」都である東京の大学に進学した。
京都市の一部には、いまだに京都以外は地方だと言う意識があると聞く。

そんな環境に育った自分なので、色々な差別意識と言うのはいくつになっても完全には消しきれない。
自身でそのことが分かっている(つもり)ので、差別的な言動・態度には気をつけるようにはしている。

人はそれぞれ、
・受けた教育
・社会環境
・宗教・思想
・社会的地位
・人種その他身体的特徴
などいろいろな違いがある。

子供の頃から、これらのいろいろな人たちに日常的に接して親しんでいると、差別意識も少なくなると思っているのだが、日本から、または、生まれ育った土地から出ずに育ち、歳を重ねると、それまでに固まった価値観から抜け出せない。
視野が広がり、人付き合いが増えるに連れ、差別意識の多くは消えて行くとは思うが、子供の頃に持っていた差別意識を100%無くすのはそれ程簡単では無い、と思う。

最近、イスラエル人と同国が占領している地区で暮らしているパレスチナ人との「罵り合い」が一部で話題になっている。ヘブライ語もアラビア語も分からないが、お互いにラップに乗せて相手への偏見をぶつけ合っていると言う(→こちら)。
表明上「差別はしません」「偏見はありません」と内容を伴わない言葉で言うよりも差別や偏見に向き合い、乗り越えるには良い方法だと思う。現実社会では難しいかも知れないが。

東京オリンピックを機に、改めて人種差別などへの社会的な意識が高まったことが、差別発言に対する「炎上」の背景にあるとも感じる。もしそうであれば、人々の意識が変わるきっかけになった、と言うことで東京オリンピック・パラリンピックは意義のあるイベントと言えるかも知れない。

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