文系 vs 理系 ステレオタイプのレッテル
2021/5/31
大学時代の友人達とのWeb飲み会に出席した。
例年だと4月に集まって飲み会を行うのだが、昨年に引き続き今年も中止。代わりにWeb会になった。
2時間くらいのWeb会だったので話題はコロコロと変わったが、その中に、新型コロナワクチン接種の予約システムがあった。
親の世代が65歳以上の接種対象者で、ネット予約を手伝ったと言う話しも出てきたが、予約システムが色々な意味でしょぼい、と言うのは全員の意見が一致した。
5月初めに予約システムを始めた横浜ではシステムを稼働した途端にアクセスが殺到し、ダウン、再開まで数日掛かった。アクセス数の想定が甘いと言う意見。文系のお役人が考えるとこうなる、と言った発言もあった。
個人的には、アクセス数の想定が甘いのは理系・文系とは関係ないと思う。
個人的な会話で軽い気持ちで、このように適当にレッテルを貼るのは特に問題では無いと思うが、マスメディアのニュース情報番組などで、このような話題は不適切だと思うことは良くある。
例えば、スポーツ選手が英語など外国語を話すと頭が良く「文武両道だ」。
ソフトウェア開発をしている人に「さすが理系だ」など。
英語などの外国語は、慣れの問題。頭の良し悪しは基本的に関係無い。それが証拠に、アメリカでは3歳児もある程度は英語を話し、ベトナムでは6~7歳になると立派にベトナム語を話す。
話す機会や環境が有れば話せるようになる。
現時点で機会が無くても、その機会が訪れることを想定していれば言語習得にも力が入る。
スポーツ選手であればヨーロッパのサッカーリーグやアメリカの大リーグでの活躍を夢見ている人たち。
プログラミングは、日本語ではプログラミング言語、英語ではprogramming languageと呼ばれる「言語」を用いてプログラミングを記述していくことからも、外国語と同じ。方言や個人による話し方の癖が少ない分、外国語習得よりはずっと簡単、なはず。
文系・理系に限らず、ステレオタイプ的にレッテルを貼ってしまうのは、個人や周りの人の可能性を勝手に奪ってしまう可能性がある。少なくとも自分ではこれらのレッテルを貼らないように心掛けたい(実際にできているかどうかはわからないが…)。
ところで「レッテル」、オランダ語の「letter」が語源の「和製蘭語」だと言う。
英語では「label」、日本語ではラベルまたはレーベル。人などを枠にはめて語る時には「ラベルを貼る」とは言わない。