スエズ運河と紅茶

スエズ運河の大型コンテナ船座礁が大きなニュースになっている。
新型コロナによる旅客機の欠航で航空運賃が高騰、船便に切り換える貨物が多い中の事故、またしても物流費の高騰が心配される。
偶然だとは思うが、今回も船主は日本の会社。昨年(2020年)7月のモーリシャスの座礁も会社は違うが日本の会社が船主だった。

さて、スエズ運河、1869年の開通。
日本では江戸幕府が終わり、明治になって2年目。アメリカが交易を求めて太平洋を渡って日本に来ていたことが黒船と明治維新の関連で教科書などにも書かれている。
一方のヨーロッパ諸国もアジアに進出していた。
特に、紅茶の国としても有名なイギリスが中国(清王朝)の茶葉、新茶をいかに早く入手できるかと腐心していた時代。

スエズ運河が完成する前は、アジアとヨーロッパの海運はアフリカの南端、希望峰沖を通るルートしかなかった。
希望峰沖は、南アメリカ大陸ケープホーン沖と並んで船乗りにとっては厳しい海として知られる。

茶葉をイギリスに速く運ぶ船はティー・クリッパー(Tea Clipper)と呼ばれる快速帆船だった。
毎年のようにティー・クリッパー・レースがイギリスの賭けの対象となり、スピード争いが白熱した。
特に1866年は語り草になっている。
中国(福建省辺り)からイギリス・ロンドンまで99日、先頭と2着の差はわずか28分、3着も先着から1時間15分後だったと言う。
これを2時間少しで走るマラソンで考えると、それぞれ約1.5秒、4秒の差。

そんなティー・クリッパーはスエズ運河の開通とともに衰退する。
現在も残っているティー・クリッパーは、カティサーク(Cutty Sark)。スコッチウィスキーの名前としても有名で、ウィスキーのラベルには帆船の絵が描かれている。帆船カティサークはスエズ運河完成後に就航したので、ティー・クリッパー・レースには参戦できなかった。

この辺りの物語を読んだ後は、自分で買うスコッチウィスキーはカティサークだった時期もあった。

現在、スエズ運河を通るルートでは香港からイギリスまでの船便の日数は約33日となっている。
船のスピードもティークリッパーの帆船と、現在の汽船では違うが、1/3の日数に短縮されたことになる。
スエズ運河の1日も早い復旧、もっと言えば第2のスエズ運河も待たれるところだ。

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