差別意識

マイノリティ(少数民族)は、使える施設・設備が限られていて、それ以外の施設を使うことは許されない。
レストランや映画館はもとより、トイレや洗面所なども分けられている。
別の施設を使っただけで、拘束される。法律には書かれていない罪による不当な拘束。

大学では、入学資格のあるマイノリティが登校すると学長の判断で入構禁止。その地方の知事も大学の門に立ちはだかり、率先してマイノリティ学生の入構を防ごうとする。

また、差別を無くそうと言う意識のあるボランティアの人々が、民族に関係無く一緒に旅行すべく同じバスに乗り込んで移動をする。特に差別意識の高い地区に来るとバスは取り囲まれ、放火までされてしまった。

夜、寝ているとマイノリティだと言うだけで警官にドアを蹴破られ尋問を受ける。

これらに抗議するデモは禁止されている。

そんな国で、差別を無くすことに奔走した国のトップは、暗殺されてしまった。

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独裁国家の話しでも、貧困に面する発展途上国の話でも無い。

アメリカ合衆国の話し。
NHK BSで放送された「カラーでよみがえるアメリカ 1960年代」と言うドキュメンタリーで紹介されていた内容。
人種差別に敏感なアメリカでも50〜60年前は、このように公然と差別がまかり通っていた。

つい最近もジョージア州アトランタ周辺でアジア人を狙ったマッサージ店の襲撃事件が起きるなど、完全に差別意識が無くなったとは言えない国ではあるが、それでも人種差別者は批判される。

1960年代前半には、そんなアメリカ合衆国の差別状況を国のトップ、ジョンFケネディ大統領は改善しようと文字通り、自分の命を犠牲にしてまで努力した。

日本でも東京オリンピック・パラリンピックの開閉会式の演出の総合統括を務めるディレクターの容姿差別、日本テレビのアイヌ差別など、差別意識はすぐには無くならない。それでも、政治からマスコミ、市民レベルまで立場に応じた努力を継続することが重要なのだろう。

ただ、国家を挙げて民族差別を行なっている大国に対してはどう対応すれば良いのだろう?

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