新疆ウイグル”自治区”

中国天津の南開大学で書かれたウイグル人など少数民族に対する中国上層部の方針が誤ってネット上に流出したらしい(→こちら)。経済的に豊かにすると言う目的で、ウイグル人を住居地の新疆ウイグル自治区から遠く離れた安徽省などの土地に移住させて仕事をさせるなど、ウイグル人の人口密度を下げる方針が書かれているようだ。

新疆ウイグル自治区は、中華人民共和国の西部にある“自治区”。中国全土の約1/6の面積を占める広大な土地は、南はインドやパキスタン、北はロシアやモンゴルと国境を接し、西隣にはキルギスやタジキスタンなどがある。首府は、地域内の東にあるウルムチ市。

その地に遊びに行ったのは2003年の夏。
まずは、北京から空路ウルムチへ。ウルムチ市から日帰りツアーで、北にある天池と言う湖や、南にあるトルファンと言う町などを観光した。
ツアーガイドは“中国人”、ツアー客も我々以外は全員“中国人”。
天池では、少数民族が馬に乗り歩いていた。
トルファンなど南の方では、ランチ時にウイグル人が民族舞踊を披露するなど、民族色豊かなツアーだった。

ウルムチに3〜4日滞在した後、一人でカシュガルへ。飛行機やバスと言う方法もあったが、最も安全な列車で行った。
ウルムチからカシュガルまでは時刻表では24時間、実際には1時間遅れて25時間掛かった。最初の数時間は山越え(天山山脈)があるが、その後は基本的には砂漠。タクラマカン砂漠タリム油田があり、テレビで見る中東の油田のような風景が広がる。

カシュガル駅に着くと、ウルムチで予約していた旅行会社の人(“中国人”)が迎えに来てくれていた。ホテルまで送ってもらい、後は自由行動。一人で街中を歩くと、人々が路上で楽しんでいるのはチェス。北京など“中国”では、象棋(=中国将棋)。家々は土造り、露天で売っているのは各種フルーツとナン(馕 と言う漢字もある)。日本のインド料理店にあるナンとは違い、真ん中に穴の空いたベーグルみたいな感じだった。また、中華饅頭(日本だと豚まんやあん饅のような食べ物)を売る店も沢山あったが、豚肉を食べられないイスラム教徒向けの野菜饅頭が主流だった。
トルコ系のウイグル人は風貌も文化も日本人が想像する“中国”とは全く異なる。

カシュガル駅

当時は北京に住んでいたが、北京ではウイグル人やチベット人はひったくりやスリなどの犯罪をするから、と言う事で悪者にされていた。
そんな時に、当時知り合いだったベルギー人から「カシュガルの街は“再開発”している途中なので、古い街並みを見るなら、行くのは今だ」と言われ訪れた。
北京で悪者にされているウイグル人。ウルムチではウイグル人も多かったが“中国人”も多かった。それに比べると、当時のカシュガルはウイグル人が多数派だった。最初は治安に対する不安が少しあったのだが、街を歩いているといたって普通。中国語もこちらが話す程度のやりとりなら問題無くできた。気のせいか“中国人”の公安が多かったかも知れないが、北京にも多かったのでそれ程気になることも無かった。

カシュガルからの帰りも24時間列車の旅。
2段ベッド2組のボックス席は、ウイグル人の老夫婦とビジネスでカシュガルに行ったと言う“中国人”男性。ウイグル人夫婦は中国語も流暢では無く、我々(中国人と自分)とのコミュニケーションにも苦労していた。
その頃は、ウイグル人が迫害されていたと言う認識もあまり無く、何となく“異邦人”だと思っていたが、その後色々とウイグル人やチベット人、モンゴル人などの待遇を知るにつれ、複雑な思いが増して行った。

2003年は、当時の小泉首相の靖国神社参拝などを理由として、中国では反日感情が増していた頃。中国内で旅行に行った時は、「どこから来たんだ」と聞かれた時はとりあえず「北京から」と答えていた。
新疆ウイグル自治区やチベットでは「北京から」と答えると露骨に嫌な顔をされたことが何回かある。そんな時は「日本から」と言い直すと、相手が急に柔和な態度に変わった。

新疆ウイグル自治区、今でもウイグル人の自治はできているのだろうか?

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です