ミャンマーとラオス

ラオスに初めて行ったのは2014年の夏。
町全体が世界遺産として登録されているルアンパバーン
宿泊したホテルは中国人オーナーと思われた。カウンター席が5〜6席のバーで働いていたのはオーストラリア人とカナダ人の夫婦。色々と話を聞いていると、「以前はルアンパバーンにも外国人が多かったが、最近は(2014年当時)ミャンマーの人気が高まり、観光客は減っている」と言っていた。

お隣の国、ミャンマーのその頃の情勢を見てみると;
2010年:軍事政権によるアウンサンスーチー氏の自宅軟禁が解かれる。
2012年:アウンサンスー・チー氏が国会議員に当選。
2015年:11月の選挙で国民民主連盟(NLD)が政権取得。
ミャンマーに軍事独裁から民主化へと変換の波が押し寄せ、世界が注目をしていた頃。
そんな中自分がラオスに行ったのは、ラオスはビザが不要だったから。

ミャンマーも日本人など一部の国に対しては、短期の観光目的であれば時限措置ではあるが2018年10月からビザ不要となった。その頃の同国はと言うと
2017年:西部ラカイン州に住むイスラム教徒(ロヒンギャ)を軍部が掃討。国際社会の批判に対してアウンサンスーチー政権は対応できなかった。
2019年:12月にアウンサンスーチー氏が国際司法裁判所に出廷し国際社会の批判に対する反論を行った。

そんな中、ミャンマー政府がビザ無し観光を認めたのは、欧米人観光客が減少し、「国際政治に疎い(表現が正しいかどうかわからないが)」日本人や韓国人の観光客を増やしたかったから。
そんな策略にまんまと引っ掛かり、2019年11月にミャンマーを観光で訪れたのだが、現地の従業員などの話を聞くと、確かに欧米人観光客は減ったそうだ。

今回の軍事クーデター。
軍事政権とのパイプもあると言われる日本政府の態度は、欧米諸国とは少し違った形になるかも知れない。その是非はともかくとして、やはりそれ程遠く無い世界で起きている事柄には少しは関心を持つことが大事だと思う。
因みに、2017年のアウンサンスーチー政権時に迫害を受けたロヒンギャの人々は今回のクーデターに拍手喝采した、との報道があった。
以前にも書いたが、アウンサンスーチー政権も軍事政権もミャンマー(ビルマ)族政権。イスラム教徒に対する政権の態度が変わるのかどうかはわからない。
いずれにしても、政権を変える時は民主的な手段によって欲しい。

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