吉野ヶ里遺跡 I

佐賀県の東部、吉野ヶ里町と神埼市にまたがる広大な地域にある弥生時代の遺跡、吉野ヶ里遺跡
工業団地計画の事前調査時の発掘調査で、遺跡が見つかったことから、本格的な調査が行われ平成元年(1989年)に大規模な環濠集落が発見され、大々的な報道が始まった。今では、吉野ヶ里歴史公園として保存並びに一般公開がされている。

昨年(2020年)12月にその公園を訪れる機会があった。
昭和に有名だった弥生時代の遺跡と言えば、静岡県にある登呂遺跡だが、規模的には吉野ヶ里は登呂とは比べ物にならない程広い。

弥生時代は、始まりには諸説あるが、概ね紀元前5世紀頃から紀元3世紀までの期間。
吉野ヶ里遺跡は、紀元前4世紀頃からの約700年間の遺跡が発見されているようだ。

吉野ヶ里遺跡では、柱の跡などから当時の建物が再現されている。建物によっては正確に東西南北に向いている。
晴れた日には、真南には雲仙岳が見えると言う。雲仙は1991年(平成3年)に噴火と大規模な火砕流で複数の犠牲者が出たことでも知られる普賢岳がある活火山。弥生時代にも何回も噴火し、また、噴煙を出していた時期も多かったと想像される。
その雲仙を真南を望む位置にあった吉野ヶ里、お祭りは北に向かって拝礼したと言われる。古代中国では北が上座だったからだとか。

日本歴史の最大ともミステリーと言われる邪馬台国卑弥呼。未だにその所在地は特定されていないが、吉野ヶ里が一つの有力な候補地となっている。
卑弥呼は、の皇帝・曹叡から「親魏倭王」と言う封号を与えられたとされているが、吉野ヶ里には当時の大陸とのつながりが推定される跡が沢山あると言う。

<続く>

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