ニュースと実際

トランプ大統領支持者の連邦議事堂乱入で水を差されたが、いよいよアメリカには新しい大統領が誕生する。
前、と言うか、任期僅かな現職大統領の言葉で記憶に残るのは“America first”と“Fake news”。
Fake news、出鱈目のニュース、はある意味では多くの人の気持ちを代弁しているのでは、とふと思った。

欧米諸国はもとより、日本でも新型コロナ感染数の急増、第3波がニュースになってしばらく経つが、街は一向に危機感が感じられず、ついに東京近辺では緊急事態宣言が発令されることになった。
いくらニュースで報道されても、自分のこととは捉えられず、他人事。言ってみれば、ニュースを信用していない、Fake news、ニュースは出鱈目、と心のどこかで思っているからかも知れない。

昨年(2020年)に新型コロナが盛んに報道されるようになっても、世の中には全く危機感は無かった。少し空気が変わったのが、志村けんさんが新型コロナで入院し、数日で帰らぬ人となった時。その後も、芸能人やスポーツ選手など感染者が見つかり、最近でも毎日のように著名人の感染がニュースとなっている。これだけ毎日報道されると、感覚は麻痺し、ニュースの真実味も薄れて行く。

皆さんはどうか分からないが、少なくとも自分にはそんな感覚があった。

それが、仕事関係の身近な人が陽性と判定され、アメリカの取引先の人が陽性の知人の濃厚接触者として自己隔離していた、と聞くと、直接知らない誰か他人の出来事では無く、急に自分のこととして意識する様になった。

毎日色々なニュースが報道されては過ぎ去って行く。ほとんどが他人事。突き詰めて考えると本当に起きたことかどうか分からない。

今だに疑う人の多いアポロ11号の月面着陸(1969年)、その時代に生きていた人もニュース映像を通じて観ただけ。実際に人類が月面に降り立ったところを自分の眼で見た人はいない。月面着陸が実際にあったか、と言うのはみんなが(自分も含めて)そう信じているから。
確かに嘘のニュース(fake news)が報道されていても、本当なのかどうか分からないとも言える。

新型コロナ禍、気持ちの片隅にその報道を無意識の内に疑う、または、希望的観測として否定したい自分がいたかも知れない。
どこの誰か知らない他人のニュースと身近で実際に起きた出来事、どうしても受け取り方は変わってしまう。

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