贈り物の包み紙

昨日の昭和の暖房器具ではおばあちゃんの思い出を書いたので、おじいちゃんの思い出も書かないと公平性に欠く。

デパートその他買ったお土産物を受け取ると大抵は包装紙に包んである。昭和のその当時も同じ。セロテープなどで留めてあるところも同じ。
祖父はその包装紙のテープをきれいに剥がして、包装紙を開け、その包装紙をきれいに折り畳み保管していた。
当時は自宅にある紙と言えばトイレットペーパーと新聞紙。
保管していた包装紙は何に使っていたか知らないが、商売をしていたので、お客さんに何かを渡すときに使っていたのかも知れない。
当時は、個人の店で野菜や魚を買うと、新聞紙に包んで渡されたので、祖父が売っていた商品をデパートや老舗お菓子屋の包装紙などに包んで商品を渡すこともあり得たと思う。実際には見たことは無いが。

このところ、戴きものが少し多かった。戴きものは大抵の場合、包装紙やおしゃれな紙袋、プラスチック・バッグなどに入っている。贈り物を買う側は、買う店にこだわりがある場合はその店で買った、という証しとしての包装紙や紙袋などが大事な場合もあるが、多くの場合は中身の方が大事。
贈答品は元々の品物を入れてある袋や包装紙、その外側に販売店の包み紙や袋、二重にも三重にもなっている。戴いた側は、袋から取り出し包装紙を開けること自体が楽しみである、と言うことは少なくとも自分の場合は無い。

我が家では、戴き物の包装紙を再利用することはほぼ無い。子供が小さいと落書きや工作などに使えるかも知れないが、思い付く再利用はせいぜいその程度。自分で小物作りなんかをする人にとっては、きれいなデザインの包装紙を使うこともあるかも知れないがレアケースに思える。

以前は、日本では戴き物を贈ってくれたその人がいる目の前で開けるのは失礼と言われていた。
海外、子供のころに聞いた海外なので恐らくアメリカ、ではその場で中身を確認するのが礼儀、とも言われていた。

贈り物は、もちろん贈るのはモノでは無く、感謝やお礼その他の気持ち。
日本では気持ちをストレートに表すのは美徳とはされていないようなので、やはり気持ちは何かに包んで、慎み深く伝える。そう言う意味で、包装紙は重要なアイテムなのだろうか?

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