スマホとウォシュレットと風呂の無い生活
スマホ、風呂・給湯器、ウォシュレット。
この三つに共通することは何でしょう?
いきなり尋ねられても困るだろうが答えは沢山ある。
昭和生まれの自分としては“子供の頃には無かったもの”。
幼稚園の頃はおばあちゃん達と暮らしていたが、家には風呂は無く、銭湯に通っていた。子供の脚でも歩ける範囲に2〜3軒はあったのでは、と思う。
いつも行く場所は決まっていたが、時々別の銭湯に行く事があるとなんと無くワクワクした。
子供達は夏には土間で行水、と言うこともあった。はっきりとは覚えていないが、給湯器と言うものは無かったと思うので、水風呂だったのだろう。京都の夏は暑いので子供にとってはプール遊びと同じ感覚だった。
給湯器が無いと言うことは、朝起きて顔を洗うのも水。きっと当たり前だったのだろう。
小学校の修学旅行か臨海学校でお湯でしか顔を洗えないクラスメートがいて”変なの”と思った記憶がある。
スマートフォン。
当然子供の頃には無く、そんなもので他人と会話しているのはアニメのヒーローくらいなものだった。
Googleマップが無くても道に迷うことは無く、一人で遊びに行っても普通に家に帰って来られた。“百貨店”に行って迷子になった時は、館内放送で呼び出されたようだが。
もちろん、電源のある“喫茶店”を探して歩き回る必要も無かった。喫茶店に入るお金を持ち歩いてもいなかったが。
ウォシュレット、一般名称で言うと、温水洗浄便座。
これは今でも海外に行くとお目にかかる事は少ない。日系のホテルには設備されている所もあるのだが、日系ホテルに泊まる事もほとんど無い。
そう言えば、昨年ミャンマーに行った時は、バス移動の途中で立ち寄ったトイレにはトイレットペーパーは無く、水桶(?)が置いてあった。ガイドブックなどによるとどうも冷水洗浄便所のようだ。
さて、この子供の頃には無かった三種の神器(?)、これらが無い生活を想像してみよう。
慣れ親しんだ快適さが遠ざかってしまうと、令和の生活に慣れた身にはつらい。
最初の質問。
スマホ、風呂・給湯器、ウォシュレット。
この三つに共通することは何でしょう?
3つとも今年になってから我が家で壊れたもの。
買い替えや修理をするまでの短期間ではあるが、これらの無い生活を体験することができたのは貴重な時間だった、と考えておこう。