誤報とニュースの信憑性

フランスのラジオ局がエリザベス女王やサッカーの王様・ペレ氏など複数の著名人の訃報誤って配信したと言うニュースがあった。
日本でも昭和天皇がご健在、病気療養中だった1988年9月26日に大手新聞社が昭和天皇の崩御を英文社説に誤掲載し全世界に伝えると言う大失態を演じた。

そのような大失態は論外だが、ニュースの信憑性はいつも疑ってしまう。

イベントや事件、事故など起きた出来事については、殆どの場合正しいと思われるが、その背景や解説などになると途端に怪しくなる。
一般紙やメディアが報道する内容は多岐に渡るので、全ての分野に専門家がいるわけでも無い。恐らくその分野に精通した人のコメントを得て、記事やニュース原稿を作成することになるが、記事を書く人に専門家が言う内容を理解できる素養が無ければ正しく伝えられない。
また、多くの読者・視聴者も自分の専門以外のことについては正誤の判断ができないことも多い思う。何と無く大手メディアが言っていることだから正しいのかな、と言う曖昧な感じでニュースを受け取ってしまう。

ただ、小中学校で習う程度の内容については、専門的知識以前の問題。
以前、野生の鹿を防ぐ目的で設置した電気柵の電流(電圧だったかも)を通常よりも大きくしていた、と言うニュースがあった。その時に視ていたテレビニュースでは、“電流を4倍にしていたので、電圧も4倍になっていたのでしょう”と真面目な顔で伝えていた。

専門的な内容になれば情報を正しく伝えるのは難しく、受け取る側も正しく理解できないことも多い。
ニュースで伝えられる内容は正しく無いかも知れない、と少なくとも疑ってみる必要はあると思う。

メディアの伝える内容を疑ってみる意識付けのためには、時々は明らかに間違っているニュースを流す効用もあるのかも知れない。
学校の先生が、学生・生徒が真面目に授業を聞いているかどうかを確かめるために、時々、あからさまな嘘を話すのと同じように。

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