京アニ事件から1年で考えたこと
昨年(2019年)7月18日の京都アニメーション放火殺人事件から今日で1年。改めて犠牲になられ方々のご冥福をお祈りする。
京アニ事件は、高校時代に毎日通学で使った京阪六地蔵駅の近く、土地勘のある場所で起きた事件、と言う程度の接点しかないが、被害に遭われた方々のために個人として何ができるのか、と無力感を感じた。
そう言う意味では、このところの豪雨災害(令和2年7月豪雨)の被災者、新型コロナに奮闘されている医療関係者のみなさんなど、支援をしたい人々はたくさんいらっしゃる。支援したいと思う自分と、個人でできることはたかが知れているから無駄かな、と思う自分もいる。
ふと、小学校の先生が言っていた言葉を思い出した。「先生は寄付なんかしない。困っている人を助けるのは国の仕事。そのために税金払っているから。」
今から思うと随分と乱暴な意見だと思うが、小学校の頃に先生に言われた言葉は、もしかしたら無意識に自分の中でも生きているのかも知れない。
もちろん、税金で国民を助けると言うのも間違った考え方ではないと思うが、問題は、国民が支払った税金は、納税者が疑問に思うような用途にも使われるかも知れないこと。
最近はふるさと納税と言う制度ができ、特定の自治体に向けた納税と言う形の寄付ができるようになって来た。一部は、災害などの被災者向けにその税金を使う、という表明もされるが、ほとんどは地方税収を増やしたいと言う目的。
納税する側も返礼品目当てという不純、いや、立派な理由に基づくことが多いように思う。
寄付金の募金も、事業所や大手マスメディア、街頭募金、ネット募金など色々な形があり、寄付する側としては選択肢も沢山あるので、寄付行為自体のハードルは低いのだが、それらの寄付金が本当に被害者・被災者に届けられるのか、と言うのが見えない。日本赤十字をはじめ数々の支援団体もあるが、どこに寄付金・支援金が届けられるのかよくわからない。
こんな風に色々と負の側面を考える暇があったら行動すべし、です。