アフリカン・アメリカン

少し前の”Black Lives Matter“でも書いたが、幼稚園の頃、生まれ故郷の京都の街で初めて見た“外人”が黒人だった。

大人になってから様々な人種の人々と接する機会があったが、“黒人”に関するエピソードを3つ紹介したい。“ほぼ”単一民族の日本でノホホンと生きて来た自分にとっては考えさせられることだった。

初めて行った海外、学生の時に行ったオーストラリア。確かケアンズだったと思うが、ゲストハウス街には色々な国の人が滞在していた。
日本人も少しいたが多くが“白人”だった。その中に一人“黒人”がいて、誰かが“どこから来た?”と尋ねると“イギリス”と言うことだったが、国籍を尋ねられるのを嫌がっていた。いつも一人で行動していて、こちらも一人の時は気軽に挨拶はしてくれたが、グループで群れているところは見掛けなかった。

2件目は、アメリカ カリフォルニア州シリコンバレーに1ヶ月位出張に行った時。仕事仲間の一人が親戚か友人の家のホームパーティーに誘ってくれた。自分以外は白人ばかりだったが、一人だけ黒人男性がいた。その家の娘さんのボーイフレンドだと説明してくれた。初めて彼を連れてきた時は、その両親も含めてみんな少しびっくりした、と言っていた。似たようなシチュエーションのテレビドラマがアメリカでは放映されていたようで、はっきり覚えていないが、タイトルは“Who is her boyfriend?”か何かだった。

黒人が自分たちの家族に入ってくることに一生懸命慣れようとする努力が感じられた。

最後の1件は、セントルイス(アメリカ ミズーリ州)でタクシーに乗った時。黒人の運転手。ホテルまでだったが、その場所を間違えていたようで、逆方向に進んで行った。途中で、文句を言ったら、同僚に電話して確かめてくれ、Uターンした。

正しい道を進んでいることがわかって安心してから、ドライバーが“どこから来たんだ?”と言うので“日本から”と答えると、“日本か、いいなぁ。俺も日本に行きたいよ。アメリカはダメだ”と日本の称賛とアメリカへの諦めのようなことは話し始めた。“アメリカ、いいじゃ無い?”と言っても詳しく理由は話してくらなかったが、何となく社会で差別されているのかな、と感じた。

社会では差別的な言葉を使わない様に努め、アメリカではアフリカン・アメリカン(アフリカ系アメリカ人)と言う言葉が使われるようであるが、この言葉も必ずしも黒人全体にとって心地良い言葉でも無いようだ。
最近は、”black”に代わり”Black”と、Bを大文字で表記する方法も考えだされている。

人の特徴を表現する時に、やはり外見で説明したい時は多い。日本でも、面長の顔や丸顔などと言うが、多様な人種がいるとやはり皮膚の色で表現するとわかりやすい。

区別と差別は違う。建前はそうなのだが…

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