言葉の意味 登山論争

人間と他の動物は何が違うか?色々な違いはあるのだろうが、大きな一つは人間は言葉を話す事だろう。

同じ言葉・単語は、(同じ文脈では)一つの意味を表す、と何となく思っているが、実際は全く違う。

モンゴル語では、白から灰色を表す言葉が沢山あるらしい。恐らく日本人だと、白、少し明るめの灰色などと表現できるかも知れないが、区別がつかない色もあるだろう。
赤と緑の区別の難しい色覚異常と言われる人々。種々の黄色を区別できるらしい。陶芸の火の温度を黄色の色合いの違いで判別できる。

どちらも以前聞いた話しなので、正しいかどうか確証は無いが。つまり、同じ黄色や灰色と言う言葉でも、民族や個々人によって違う。
視覚から得た情報を言葉に置き換える際に、人によって違う言葉を割り当てる。以前から思っているのだが、例えば、自分の見ている「青」とあなたが見ている「青」、どうやって同じだと証明できるんだろう?

同じことが他の言葉でも言える。

最近は、「登山」を巡って登山家と実業家のTwitter論争があった。それに対して、どっちが正しい/間違っている、と言う世間の意見も出た。そこで思ったのは、“二人の見ている「山」は、全く違うんじゃ無いか”と言う事。「」と一言で言っても色々ある。ハイキング程度で行ける近郊の山、自分たち以外のグループには視界には入らない山。混雑時に隣の人の足を目の前にしながら寝る大混雑の山小屋、渋滞で前に進めない山。見ている「が違うと山に対する見方も当然変わってくる

軽症」と言う言葉も然り。
我々一般人、と言うか自分、のイメージする軽症は、微熱や軽い頭痛、咳、喉の痛み程度。新型コロナでは、酸素吸入程度だと軽症だとか。

特に一般的な言葉の場合は、新しい場面で使う際には、言葉の定義を明確にする必要がある。

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