SARS禍の北京で起きたこと
2003年3月、SARS感染者・死亡者が急激に増えつつあった北京。SARS自体は新型コロナと違って無症状者からの感染は無い、と言われていたのでそれほど恐ろしいとは思わなかった。しかし、SARSによる社会的雰囲気は怖かった。
北京のある外資系スーパーマーケットで咳き込んで発熱で倒れた人がいた。時節柄、近くにいた人はその人を避けようとし、店外に逃れようとする人も大勢いたことは想像できる。
そのスーパーでは、当時店内にいた客を外に出さないように封じ込めをした。感染したかも知れない人を外に出さないように、と言う過剰反応。どれくらいの時間そのような封じ込めをしたのかはっきりしないが、5分、10分と言う短時間では無かったようだ。当然、店内はパニック、店員・警備員と客の言い争いが起きたことは想像に難くない。
当時の北京は、スーパーマーケットが普及し始めた頃。昔ながらの商店もまだ見られた。
小さな店にカウンターがあり、店員はそのカウンターの向こう側、商品はその後ろの棚に並んでいた。買い物をする時は、店員に何が欲しいか伝えお金(もちろん現金)を払うシステムだった。身振り手振りと片言の中国語で欲しいものを要求して、取ってもらって支払い、つり銭は投げて返された。
もちろん、今の日本にもある個人経営の八百屋みたいな形式の店や露店も沢山あり、買い物はそんなところでもできた。
外国人にとっては、言葉が分からなくても買い物ができるスーパーマーケットは便利な存在だったが、先ほどの店内閉じ込め事件が起きてからは、しばらくスーパーに行くのが怖かった。こう言う怖さがSARS禍の北京にはあった。
今の日本では、もちろん新型コロナウィルス自体も怖いが、それよりも実社会、ネット社会での差別的な言動など、負の社会的雰囲気の蔓延が怖い。
ふと思った。”○○に行ってはだめですよ”。ダメと言われると行きたくなってしまうのも人間の性。”行ったら帰って来てはいけませんよ”、”入ったら14日間出られませんよ”などとするのはどうだろう?