尼崎列車脱線事故

2005年4月25日のJR福知山線・尼崎列車脱線事故から15年。

元同僚を思い出す。当時は、大阪の大学院に通っていて、宝塚駅からいつもは電車の2両目に乗っていたが、その日に限って2両目は満員で乗れず、走って後ろの車両に飛び乗った、と言っていた。
犠牲者107名の大半は大破した1,2両目の乗客だった。

就職時に面接をしたのがたまたま自分だった。元気のいい関西弁で、一次面接(自分の第一印象)をパスし、結果的に会社で採用された。彼はすでに退職し、自分で会社を立ち上げたが、いまだに時々連絡をくれる。

大事故を生き延びたことで、知り合った知人。普段は何とも思わないが、ニュース等で脱線事故の話題を聞くと、不思議な縁だなと思う。

改めて脱線事故の犠牲者に合掌。

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