コップの水 都市風景の報道
有名なコップの水理論。
コップにまだ半分水が入っている。コップの水がもう半分無くなっている。現象は同じだが意味づけは変わってくる。
緊急事態宣言が出されてからの最初の週末。“人出がこんなに減った”、“まだこれだけの人が出掛けて来ている”、二つの表現が考えられる。
東京・渋谷や大阪・梅田、福岡・天神などのテレビ報道を見ていると“こんなに減った”と言う論調が多いように感じる。
“閑散としているからどうした?”と勘ぐってしまう自分がいる。閑散とした街を見せることにどういう意味があるのだろう?批判では無く、単純な疑問。報道を見ていると、そんなに閑散としているななら、街並みを見に行きたい、と言う欲求にかられることもある。
緊急事態宣言や各都府県からの要請の主旨を考えると閑散とした街並みを報道するよりも、依然として人出の減っていない地域の映像と“まだこれだけの人が外出している”と言った方が良いと思うのだが、どうだろう?
間違った報道では無いので批判はできないのだが、現在は正に緊急事態、如何にして感染拡大を食い止めるか。各人、各企業が一体となってできることを進めて行くのが大切な事だとすれば、ヒトに伝えるのが本職の報道機関は、街への人出を減らす言葉使いをすることも大事。
そんな事を考えるのは自分だけだろうか?
勿論、それでも外出せざるを得ない人々もいる、と言う事は尊重する必要はあるが。