武漢最前線 武漢で看護師だった知人から

SARSの年、私はSARSからの距離ゼロ・北京で恐怖を経験しました。私が住んでいた建物が封鎖されていたある日、仕事中に発熱し苦しみました。まだ若かった私は、恐怖で泣き叫び”死にたくない、隔離されたくない”と上司に訴えました。もちろん、私は運がよかった、ただの風邪!しかし、死ぬのが怖くない人なんかいません。

運命はわかりません。もし武漢の病院で働き続けていたら、もし北京に行かなかったら、もし結婚して台湾に行かなかったら…、今頃は同級生たち同様第一線で奮闘していたことでしょう。今年はやはり落ち着きません。親戚は彼の地にいます。従兄は新年初日(訳注:旧暦)、宜昌運輸司令センターのキャプテンを務めました。2番目の子供はわずか8ヶ月です。私の同級生の医師達はみんな武漢や周辺の郡で残業続きです。年末には、新年の挨拶を送りました。みんな忙しくてゆっくり話す時間も無く、大抵の人からはただ一言“君も体に気をつけて!”

12月に武漢で会った幼馴染の友人は、流行の始まりから医療最前線で奮闘していましたが、彼自身も感染し隔離されました。直接連絡はくれませんでしが、別の知人を通じて今日聞きました。聞いたときは驚きましたが、冷静に考えてみると恐ろしい体験です。彼が言うように医師でも同じです。医療スタッフはこの大変な時に戦場に行かなければなりません。大丈夫、すべては克服でき過去のことになります。私の言葉は冷静に思えるかも知れませんが、泣きそうです。がんばれ兄弟!

現在の状況は医療スタッフへの一言の励ましの言葉だけで解決できる問題では無いかも知れません。政府は過去の教訓から本当に学ぶべきですが、過度のパニックは必要ありません。医療の観点からは、特別に感染力が強いわけではありません。4次、5次感染者の病状は比較的軽く、また検査も早くなっています。第一線で働く同級生から聞いた死亡率も同じです。基礎疾患のある高齢者は合併症を起こす危険がありますが、その他は楽観できます。普通の肺炎でも合併症を起こします。現在は、病院で感染と診断される患者が爆発的に増えていますが、肺の病変は少なくなっていて相対的な感染症状は緩和されつつあります。春節休みが延長され、次の2週間が重要です!

早期発見、早期隔離、早期治療、人為的パニックの軽減、科学的見解で、最終的には終息します!みんな大切な人たち、あなたのために祈ります、白衣の天使!

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武漢で看護師をしていて、SARSの時には北京にいた知人からの1月30日のメッセージです。

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