台風の混乱 – 帰国

東日本に大きな被害をもたらした台風19号Hagibis。
日本の状況を心配しながら、帰国できるのか、とやきもきしていた。

ベトナム・ホーチミンからの帰国便は、10月12日の夕方にJALから欠航とのメール連絡が来た。Webで確認すると変更手続きは電話で、と言うことだったが、電話の受付時間は終わり通じなかった。翌13日の電話受付開始時間まで、アクションを起こせないので、とりあえずホテルで寝た。

午前5時過ぎにJALからのメールに気付き、読んでみると、一度は欠航とした便が6:30に出発、とある。何日の6:30か2~3回確認したが、やはり、今日13日。
フライト決定メールを読んだ朝5時過ぎから出発の6時半まで、1時間ちょっと。空港まで朝でも15〜20分程度は掛かる。普通は定刻の1〜2時間前には空港に着いて無いといけない。無理じゃん、と思いながらも慌てて身支度と荷物のパッキング。

ホテルを6:15に出発、タクシーを飛ばして、ホーチミン・タンソンニャット(Tân Sơn Nhất)空港に着いたのは6時31分。
JALのカウンターが空いていたが、日本人職員に我々のフライト手続きはもう締め切ったと言われ、フライトの振替手続きをお願いした。
チェックインカウンターに行くと、当初我々が乗ろうとしていた便は、出発が7時に変更、手続きはまだ間に合う、と言われチェックイン。但し、食事は無し。
朝飯は当然食べていないが、背に腹は、じゃ無くて、腹にフライトは変えられない。

チェックインを行い、外交官・スタッフ用出国検査、荷物検査レーンを通り、搭乗ゲートには6:58ごろ到着。”最後のお客様”だったが無事搭乗。
フライトがキャンセルになったという連絡は何人かに入れていたが、予定通り今日中に帰れると言う連絡は誰にもできず。

B787の機内はガラガラ。メールに気付かなかった人、気付いても間に合わなかった人が大多数。元々、通路側の席を予約していたが”お好きな席をどうぞ”と言われ、窓側に移動。機内アナウンスによると、客室乗務員8名、乗客30名。

これだけ空いているフライトは久々。2003年5月1日の北京→成田のJAL便以来。SARS騒動で、日本人の多くが北京を脱出し終わり、JALも北京便の減便を始めようとしていた頃。当時はまだ飛んでいた”ジャンボジェット”B747、乗客人数のアナウンス等は無かったがやはり30人程度だったと思う。

一度は欠航になったフライトが飛ぶことになり、クルーの皆さんも急に呼び出されたそう。
急だったので食事の準備はできず、食事は無し。補償として、JALクーポンかJMBマイルを提供するということが書かれたハガキをもらった。
ちなみに、食料としてはカップ麺(JALうどんdeスカイシリーズ)があったので、空腹は癒された。

ホーチミン空港で柔軟な対応をしてくださった方々やクルーのみなさんなどのおかげで、当初予定よりは8時間程度の遅延で帰国でき、感謝。

今回のフライト、たった30人の乗客のために飛ばす、と言うのは機体のやり繰りに相当苦労しているんだな、と思った。大型台風に備え、JALは(おそらくANAも)羽田・成田の機体を可能な限り他の空港に避難させたらしい。
航空各社は、これからしばらくは、特に、帰れないでいた人たちを帰すフライトの手配で大混乱が続きそう。

帰国して改めてニュースを見てみると、台風被害は思った以上に広範囲で、被害に遭われた方もたくさんいらっしゃる。
我々の騒動は、それに比べると取るに足りない些細なできごと。

被災者の皆さんにはお見舞い申し上げます。

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