鳥葬
<2003年10月5日 夜9時頃 チベット・ラサ 吉日旅館>
「お寺までね、5時間掛かるね。空港とは全然反対ところ。ラサから空港まで一時間半かかるでしょ、5時の飛行機無理。誰と誰が明日帰るの?」
「全員」
「じゃ絶対無理、間に合わない。
中国人はね、死体を鳥が食べるでしょ、食べた鳥は空に飛んでいくでしょ、だから、天国に行くと思ってる。でもね、チベット人全然違う、地獄行くと思ってる。だから最後に鳥に食べさせて自然に帰す。それしかない。」
「よけい行きたくなって来た。飛行機に間に合う可能性もありますよね?」
「順調に行けば、5時間だからギリギリ。でも、間に合わないかもしれないでしょ。
みんなまたチベット来るでしょ。行かないで下さい。」
「行かせて下さい。お願いします。」
「間に合わなかったらどうする?」
「飛行機のチケット買いなおします!!」
「わかった、5分考えさせて。」
「They will have the ceremony. But, how to say, let me explain in Chinese. お寺の人の電話の態度は、人を死ぬのを待ってるんだろ、って言う感じで怒った感じだった。何と言うのかな、わかるでしょ?」
「今、運転手来るからちょっと待って。」
というわけで、旅行会社のチベット人を拝み倒して、ランドクルーザー一台1400元でチャーターできることになった。午前2時半出発ということになり、我々が泊まっているホテルの確認の意味も含めて、ランクルでホテルまで送ってもらった。
<10月6日 午前2時半>
寒い。当初予定の4名の内1名は高山病で体調がすぐれず、男2名女1名の3名で行くことになった。全員ダウンジャケットを着込んで、ホテルの前で迎えの車を待つが、5分、10分、15分過ぎても来ない。旅行会社に電話し、督促すること2回、3回目は旅行会社から電話があり、3時10分頃やっと例のランクルが到着。
「対不起、対不起(ごめんごめん)。寝てた。」
舗装道路なのに意外に揺れる。
ラサ市内で給油し、荷車を引っ張るトラクターに何台かすれ違う程度の道を一路東へ。
途中車窓から見えた星がすばらしく美しかった。
オリオン座、普通は周囲の4つ星と真ん中の3つ星、計7個しか見えないところに、無数の星。空全体星だらけ、という感じ。流れ星もひとつ。
星を眺めながら全員無言で、ラサから1時間半程度、突然、舗装道路に土砂崩れのあと。ショベルカーが作業中、車は通れない。
「たどり着けるのか~?」待つこと、10分程度、ショベルカーがわきに寄り、運転手の「OK」と言う声とともに再出発。
益々山道に入っていく。道が悪くなるほど、車の走りに安定感が出てきた。今まで乗っていた観光バスほど揺れない。さすがランクル。道が悪くなり、揺れが大きくなるにつれて、睡魔が…。悪路に気持ちよく揺られながら、睡眠。
再び、車が止まる。直前に、トラックが一台止まっている。朝6時前、旅行会社の人が言ってた5時間まであと2時間程度はある。
「また、土砂崩れか?ホントに行けるのかな~?」
「到了、到了(着いた、着いた)。門が開くまで待たないとだめだ。」
どうも鳥葬に伏されるご遺体が前のトラックの中にあるらしい。
儀式の開始まで、まだ、2時間程度ある。車の中で、仮眠。寒い。途中、続々と車がやって来る音、車から降りて歩き出す人々の気配がする。
<午前7時半>
葬場まで徒歩20分の山道、運転手の先導で登り始める。まだ、日は出てないがあたり一面のうっすらとした雪景色ははっきりと見える。寒い。標高4000m位か?空気の薄い高地での山道はキツイ。なぜか山道になると元気になる僕以外はやはりつらそう。
8時10分前に葬場の前に到着。観客席のない野球場程度の広さの周りは、柵で囲ってあり、入り口には鍵がかかっていて入れない。我々以外に誰もいない。
「さっき、たくさんの人が登って行ったのに、ほんとにこの場所なのかな?」
遠くで2~3羽ハゲタカが舞っている。
運転手が言うには、このお寺では天葬(鳥葬の中国語表現)が西暦1179年から始まったらしい。ただ、外部の人に公開するようになったのはこの2~3年。
寒さで、震えながら待っていると、我々と同じような見学客らしき人たちが、5人、10人と集まってきた。東の空には太陽も登ってきた。
太陽の登った方角から、背中に白い布袋を背負った人1名を含め、儀式で使うであろうモノを持った人たち4名ほどがやってきた。白い袋以外は、柵の上から葬場の中に投げ入れている。白い布は下にも降ろされずに、一人の小柄な40歳位(?)の男性に背負われたままだ。どうも、これがご遺体らしい。
<午前8時45分>
旅行会社の人には9時には出発して空港に向かうように指示されている。8時に儀式が始まると聞いていたのに、まだ中にも入れない。
ここまで来たら飛行機に遅れても見るしかない、とみんなの意思を確認しているときに、えび茶色の僧侶服を来たチベット僧たちが東からやってきた。鍵を開け、「入っていい。」と言う声で葬場へ。
柵で囲まれた敷地の西北端に、20~30cm程度の大きさの石を敷き詰めた、直径6~7m位の円形の場所。我々は葬場の西南に立って儀式を見ることに。
我々が立っている西隣では僧侶が刃渡り50cm程度のナイフを研いでいる。その隣では、草木・御香を燃やしている僧侶もいる。
いつの間にかハゲタカが至るところにいて、こちらの様子を窺っている。羽を広げると1.6~1.7m位は余裕でありそう。
白い布袋を背負った人が石の敷き詰めてある葬場のまわりを三周、その後逆方向に三周、そして、我々から一番遠いところに有る高さ1m、幅50cm位の石に布袋をもたせ掛けた。その向こうの大きな石影から読経の声が聞こえている。
大きなナイフと同じくらいのかぎ(鈎)状の道具を持った人がやってきて、おもむろに布袋を切り裂く。中からうずくまった体勢の裸の遺体が。その遺体をまっすぐに伸ばし、ナイフで腹部の皮膚を水平に一切り。
— 儀 式 —
<午前9時15分>
「時間が来たから帰ろう。」運転手の声に従い、我々は何とも言えない複雑な気持ちで、天葬場を後にし、山を降りた。
再びランクルで、山道を下る。来るときは真っ暗で見えなかったが、対向車とのすれ違いなど到底不可能な崖っぷちの道。運転手の腕は確か。来るときこんな所でよく眠ってたな、と改めて自分の才能(?)に感心する。
山道を下って、チベット人の放牧地にいたカラスのかわいいこと。手のひらにおさまりそうな小鳥に見える。
危険な山道、田舎道を無事に通過し、ラサに通じる舗装道路に出たところで、運転手が「腹減っただろ。何か食って行こう。」と一軒の小さな食堂へ。ラサまで一時間半、空港まで3時間位、まだ10時半。余裕。
チベットでの最後の食事は「久々にうまいメシだった。」と満足感に浸り、あとは、一路ラサ空港へ。途中ラサの町で、ポタラ宮を再度目に焼き付け、フライトの3時間前には空港に到着。
空港で待つこと一時間、天葬を見に行かなかった連中が他の北京からのツアー客とともに空港に着き、質問攻めに遭いながら飛行機へ。
機中、窓から見える雪山に、今朝見た光景を重ね合わせながら、ハゲワシの群がる死体のごとく眠りに着いた。
生きて目が覚めることを信じて。
<完>