A.I.と宗教
AI EXPO(2019年4月)で聴いたセミナーで興味深かった話について。
そのセミナーでAIベンチャー企業のトップが話していた内容を自分なりにまとめてみると:
・太古の時代は、牛も果物も人もみんな平等だった。
・人が他者を支配するようになると、支配者である人を戒める為に神という概念ができてきた。
・人は人が生み出した知能、AI、を使って神を越えようとしている(ホモデウス)。
例えばスマホで使っている地図アプリ。
最初の頃は、推奨ルートを見ると、“それよりもこっちのルートが良さそう”とユーザーが主体的に判断していたものが、徐々に精度が上がり、地図アプリに頼るようになり、最終的には地図アプリの指示(命令)に、盲目的に従うようになる。
こうやってA.I.が神になって行く。
けれども、A.I.は人が作るもの。
いくら自己学習で過去の経験から最適解を導き出すとは言っても、作成する人の考えや価値観は反映できる。そうなると、A.I.を使って支配する人と、支配される人という階級ができてしまう。
ネットニュースやショッピングなど、すでに個人の嗜好に合わせた情報を提供されて、盲目的とは言わないまでも、それに従って生活しているところが多少なりともある。
これからも益々A.I.は発展して行くと思われる。人としてどうやって付き合って行くのか?
自分では判断せずに、A.I.を“神”と崇めて、すべて“神様”の思し召しのままに、生きて行くのも選択肢としてはあるのかも知れない。