パラリンピックまで1年
電車通勤で朝出勤して、夕方帰宅する、と言う生活をしていると出会う“人種”が均一になってしまう。
男性女性問わず所謂“会社員”ばかり。
それでも夏休み期間中の最近は、東京駅で親子連れ、それ以外の時期でも外国人を含む観光客が多くなっている。
会社員ばかりの時は、通路を歩く人たちの方向(左側通行など)や速度も大抵はみんな同じで、何も考えずに歩いていても目的地に着く。そんなところに観光客などがいると、立ち止まって談笑していたり、道や店を探していたり、いつものペースが乱される。
無意識の内に異質(日常と異なる)な存在を避ける気持ちが働いているのかも知れない。
自分(たち)と同じようなものだけが集まっている、という事はその“同じ”中にいると居心地がいいのかも知れない。逆に、“同じ”でない人にとっては疎外感を感じる場になるのだろう。
さて、東京パラリンピックまでちょうど一年。
障害のある人達のスポーツの祭典。
会社にも聾唖者など身体の不自由な人がいるが、普段の接点は多いとは言えない。
日本語のわからない外国人も含めて、日本人健常者(と言う表現でいいのかわからないが)と違う人達は日常に沢山いる。
そのような他と違った人達でも心地よく生きていける社会が文明社会なのだろう。
まずは、自分の中の垣根を無くさないといけない。パラリンピックは、その大きな起点になりそう。