京都アニメーション と 報道
大変凄惨で悲しい7月18日の事件から5日後、関西出張のついでに現場に花を供えに行った。
子供の頃に住んでいた家からは最寄りの京阪六地蔵駅。慣れ親しんだ土地。また、身内にアニメクリエーターがいる事もあり、他人事とは思えない事件だった。
平日昼間だったので、献花に並んでいる人はいなかったが、メディア関係者と思われる人がたくさんいて、普段の六地蔵駅とは雰囲気が違っていた。
案の定、献花台に花を供え手を合わせた後、“〇〇の者ですが、ご関係者の方でいらっしゃいますか?”と尋ねられた。“違います”と答えたらそのまま何事も無かった。言葉遣いも態度も丁寧だったので、特に悪い印象は持たなかったが、もし、“関係者です”と答えたらどうなっていたのだろう?
「関係者」の人たちは、身近な人が行方不明になっていて不安な日々を過ごしていらっしゃるに違いない。不安な感情を表したい人でも、その相手は同じ苦しみを負っている人や親しい人であって、マスメディアやその先にいる読者や視聴者では無いと思う。
今回の事件に限らないが、被害者の気持ちに配慮していない、と思われる報道を度々見かける。
報道の自由、確かに必要。事件の再発を防ぐ為の報道であれば歓迎するが、被害者や関係者の感情を逆なでするような報道が必要か、と言われれば疑問を感じる。
一方で、今回の事件では世界中に支援の輪が広がり、例えば、京都アニメーションが開設した支援金の預かり口座には、開設から21時間で3億円弱の支援金が寄せられている。こうした支援の一助になっているのもマスメディアである。
献花に行った日は、近畿地方の梅雨明け発表の前日、蒸し暑い日だった。そんな中、ずっと現場で待機しているメディア関係のみなさんには頭の下がる思いではあるが、ぜひとも被害者や関係者を傷つけない取材や報道を心がけて頂きたい。
合掌