DMZ – その二

<DMZ – その一> より続く

第三トンネルは北朝鮮が韓国侵略のために掘ったトンネルの一つ。現在までに韓国は4個のトンネルを見つけていて、高さ2m、幅2mのこの第三トンネルが最大で、今回のツアーの最大の目玉。

ガイドが言うには、北朝鮮から韓国に逃げて来た、いわゆる脱北者は、韓国に10人前後いる。何人かの脱北者からの情報によると、北朝鮮が韓国侵略を目指して掘った軍事トンネルは20個前後、つまり、10個以上のトンネルは未発見。

第三トンネルに着くと、トロッコ列車に乗っていく。トロッコ列車を待っている間に、我々のツアーに同行している脱北者が北朝鮮の現状を紹介してくれた。

その人は30歳前後の女性で、北朝鮮では中国医学を勉強していたという、比較的身分の高かったと思われる人。

彼女は一度中国に逃げたことがあるが、中国公安に捕まり、北朝鮮に送り返され、収容所に送られた。収容所では食料が十分ではなく、しかたなくネズミなどの小動物を捕まえて飢えを癒していた。その後、収容所から逃げ、今年(2004年)2月についに韓国にやって来た。

韓国では、まずは数ヶ月間一通りの教育を受け、現在は時々DMZツアーに同行し、ツアー客に北朝鮮の実情を紹介している。

姉も一緒に中国に逃げた。今年の9月初めに20数人の北朝鮮人が北京の日本人学校に逃げ込むという事件があったが、その中に姉がいた。日本人学校に逃げ込んだ人たちは、その後日本大使館に送られたと報道されたが、それ以降の報道は無く、姉の現状をとても心配している。

があったが、その中に姉がいた。日本人学校に逃げ込んだ人たちは、その後日本大使館に送られたと報道されたが、それ以降の報道は無く、姉の現状をとても心配している。

北朝鮮内には至る所にトンネルがあり、それぞれのトンネルは網目状に繋がっている。いくつかのトンネルは非常に大規模で大型トラックが行き交うことができ、地下軍事工場に物資を輸送している。また、北朝鮮では一年に5回、国民が参加しなくてはいけない軍事訓練がある。政府は、アメリカに占領されている韓国をできるだけ早く解放するようにと教えている。

最後に、日本人観光客がそのガイドに「韓国に来てよかったですか?」と質問した。「韓国は自由なので悪くない。けれども、北朝鮮は政府が私たちの生活の面倒を見てくれ、自分の生活のことを考えなくてもよかった。韓国では、他人と競争して、経済的に自立して生活しなくてはいけない。この考え方や生活方式には慣れない。自立するために、また韓国で医学の勉強を始めた。」

話しの内容にはもしかしたら韓国政府の宣伝が含まれている可能性もあるが、北朝鮮から逃げて来た当事者の話しを聞くと、近くて遠い国のことを色々と考えさせられた。

その後、トロッコ列車に乗って第三トンネルに入った。トンネルの中では、日本語や英語以外に韓国語が多く、韓国人観光客も予想していたより多かった。しばらく歩くと鉄条網の行止りに着いた。パネルによると、我々がいるところは、軍事境界線からたった70数メートルのDMZ内、と言うことだった。ガイドが言うには、以前は、毒ガス検知のためにカナリヤがいたらしい。

次の目的地は羅山展望台。一人の韓国兵士が日本語で付近の説明をしてくれた。ここは、板門店から7km少し、右側(東)遠方、大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国の国旗が見えるところが板門店。正面に見えるのが北朝鮮、けれども今日は日曜日なので望遠鏡で見ても人のいる様子は見られない。工場を建設中、中国の会社が建てているらしい。労働者向けの新しい住宅も建ち始めている。

今日最後の観光スポットは羅山駅。韓国と北朝鮮を結ぶ鉄道、京義線、の韓国側最北端の鉄道駅。標識には、“ソウル 56km-平壤 205km”とある。技術的問題で、北朝鮮側はまだ完全には開通していないが、将来開通すると、この鉄道を通って韓国から北朝鮮、ロシアを通ってヨーロッパ、イギリスまで行けるようになる。

すべての観光地を見終わり、再び臨津閣に戻り、そこで昼食を採り、ソウル市内に帰った。ソウル一の繁華街、明洞(ミョンドン)、賑やかで平和。車でたった1時間、40kmのところは雰囲気が全く違う。今回のツアーで平和や自由などいろいろ考えさせられた。

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