DMZ – その一
今日(2019年6月30日)、アメリカ合衆国大統領が北朝鮮に足を踏み入れ、北朝鮮の最高司令官と韓国側で会談するという歴史的な出来事があった。
15年前にDMZ(Demilitarized zone=非武装地帯)に行った時の日記を載せてみる。
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2004年10月5日
ソウル中心部のロッテホテルから一日観光の大型バスに乗り、左手に漢江を見ながら北西に進む。旅客は30人弱、約20人は日本人、その他欧米人と通訳に同行すると思われる韓国人。バスには、日本語話すガイドと英語を話すガイドの2人。
今回のツアーの目的地は軍事拠点、車中でガイドからツアー中は規則を守るようにと説明があった。許可なく写真を撮らない、独断で行動すると地雷を踏んで重大な結果になる、北朝鮮に入ってしまうと間違いなく今晩のNHKで報道される、などなど。
半時間ほどバスが進むと川沿いに有刺鉄線が見えてきた。北朝鮮からの侵攻を防ぐため。漢江が北朝鮮から流れて来る臨津江という川と合流するあたりに来ると北朝鮮が見えてきた。北朝鮮側の山はすべて禿山、ガイドによると、木々は燃料にするためすべて伐採されたとのこと。
その後、バスは北朝鮮との国境、正式には“休戦ライン”、または、“軍事境界線”と呼ばれるところから離れ、臨津江(イムジンガン)に沿って走り、観光スポットの一つ、臨津閣、に着いた。ソウルから約1時間。臨津閣で少し休憩し、DMZに程近い“民間人出入統制線(民統線)”を超えるところまで来た。民統線は臨津江の中間線にあり、観光バスは統一大橋を渡る。橋のあたりは米軍と韓国軍が共同で警備している。韓国兵士がバスに乗り込んできて、一人一人のパスポートをチェック。バスの外には機関銃を構えた韓国兵士、非常に若い。兵役に行く韓国人の知人たちを思い出した。
ガイドによると韓国人が民統線を超える場合は、政府の特別許可証を取得する必要があるらしい。
統一大橋には障害物が設置され、北朝鮮軍が万一侵攻してきた場合にも進行スピードを落とさせるようになっている。我々のバスもゆっくりとS字を描きながら進んで行く。
統一大橋を超えると一つの村、統一村、が見えて来た。統一村は北朝鮮に近く、危険性が高いため、免税など韓国政府からの特権があるのと同時に、夜間には消灯、外出禁止など生活面での制限もある。その村には泥棒がいないので、家にはカギをかけない。軍隊が厳格に守っているためだ。少し行くと、地雷地区を示す髑髏マークの標識がある。近くには軍人の宿舎や芝生のグラウンドがあり、サッカーに興じている軍人もいる。しばらくすると第三トンネルの入口に到着した。
<DMZ - その二> へ続く