幸せの村 - ルアンパバーンIII

子供達の笑顔、物質的に貧しくても幸せそうに見える村に行った時の日記。

— 2014年8月25日 —

今日はトレッキングツアー。ルアンパバーンの町を9:00に出発、ツアー客はロンドンで仕事をしている28歳のパリジェンヌと自分の2人。ガイドは26歳のカム族の青年ポーン君、運転手はモン族のお兄さん。
ポーンは8歳で親元を離れ、子供の僧としてお寺で教育を受けたとのこと。ラオスの男の子のほとんどは、親元を離れ、お寺で共同生活を送りながら教育を受けるらしい。英語もそこで勉強したそうだ。

車での道中では、中国語のカンバンがたくさん見える。建材屋やホテル、中老(中国ラオス)友好病院と言うのもある。
昨日ボートで行ったラオラーオの村、Ban Xang Haiを通り過ぎ、登山口の村に10:20に到着。

昨日の大雨と今朝の小雨でぬかるんだ道をガイドのポーンを先頭に、パリジェンヌのマリー、続いて自分の三人で歩き始める。
道幅はトラクターなら通れる位の広さで、歩くには十分。時々大きな水溜りで足を取られそうになりながらも、順調に前進。
ポーンの歩く速さは結構速い。自分の歩きも速いので、ついては行けるけど。それでも、ポーンは昨日のお祭りで飲み過ぎて、いつもより歩くのは遅い、と言っていた。
途中、二期作の水田や一期作の陸稲、大きな瓜を作っている畑などを見ながら進んで行くが、曇っていた天気が晴れてきて、だんだん蒸し暑くなってくる。途中で何回も水分補給休憩を取りながらも、12:20ごろに目指す村に到着。標高1200m位(?)の山の中腹にある。

寄合い所みたいな12~13人集まれそうな所で休憩。壁の無いログハウスといった感じ。
ルアンパバーンの街でポーンが買って持って来てくれたフランスパンのサンドウィッチの昼食。彼の昼飯は会社からお金がもらえないので買って無いとか。マリーがサンドウィッチを少し分けてあげる。
ガイドの仕事は1日US$6程、生活は苦しく、US$600/年の大学の授業料を貯めるのが大変、運転手のサラリーはもう少し多いらしい。友達はフランスと日本の奨学金をもらって大学に行ったので、ポーンも申請してるけどもらえていないそうだ。

村人たちは、お年寄りも子供たちもみんなフレンドリー、サバディーとラオ語で挨拶。
村のおじいさんが、バナナ買わないか、とポーンに言ってくる。欲しいと言うと10本位の小さなバナナを持って来てくれた。5000kip、60~70円。バナナ買ってくれてありがとう、とニコニコして心から感謝される。

村にはカム族とモン族が暮らしていてどちらの言葉もラオ語とは異なるらしい。モン族は高床式の家、カム族は地面に建てた家に住んでる(逆だったかも)。
村には、犬やニワトリ、豚たちがのんびりと歩いている。ニワトリと豚は秋の収穫期のお祭りの時には食べられてしまうらしいけど。
人々は仏教では無く、spirit(精霊?)を信じている。いろんな所に神様が宿っている日本の宗教観に似てるのかな。
カム語もモン語も話せるポーンの案内で村を一周。29世帯、300人程の村。森から引いた水場が何ヶ所かあり、素っ裸の3~5歳位の子供たちが水を運んでいる。みんな笑顔が可愛い。

村には衛星放送のアンテナはあるけど、電気は来ていない。トラクターのディーゼルエンジンで電気を起こし、バッテリーの電気も使って何日かおきに集まってテレビを見るらしい。
ソーラーパネルがあればほぼ毎日テレビが見られるよ、と口から出そうになったけど、言うのはやめた。
貧しい村、でも、幸せそうに見える。フランスも日本も経済的に豊かなのは間違い無いけど、本当に幸せなのかな、とマリーと話す。

村で1時間半位過ごし、下山。途中、畑仕事から帰ってくる村人、麓の村へトラクターや原付バイクで行く村人たちとすれ違ったり、追い抜かれたり。お互いサバディーと笑顔で挨拶。下りは約1時間で車の待っている麓の村に到着。

結構しんどかったけど、行った甲斐のある貴重なトレッキングツアーだった。もう少し時間に余裕があれば村で一泊するツアーもやっているとか。きっと人生感が変わるツアーなんだろうな。

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